ブコウスキーにはなれない

学生時代にチャールズブコウスキーに憧れていた。今は亡きアメリカの作家だ。

 

ワイルドだけど知的な風貌、ワイルドだけど繊細な描写。

世間に認められるまでは日雇い労働や郵便局での仕事で生活費を稼ぎながら小説や詩を書いていた。

小説の主人公の生き方、ハードな労働、酒をがぶ飲みし、女を抱き、詩を書きためる。 そんな生き方に心底憧れを抱いた。

なぜか俺が特にかっこいいと感じていたのは常にハードな労働で生活を支えていた部分。

仕事ってよりは労働って言葉の方が合う。食い扶持を稼ぐ為だけの単調でハードな労働。

彼の小説には労働や喧嘩の描写が多い。肉体的な生の力に溢れている。スポーティーな意味での肉体では無い。ジムでの筋トレや高機能スポーツウェアじゃ決してつくる事のできないパワー。根源的な生のパワー。そしてその労働というベースが、彼の書く全ての文章にリアリティを持たせている。俺はそう感じていた。この労働の部分がホワイトカラーなデスクワークやオシャレ感のある仕事だったとしたら好きになっていなかっただろう。

彼の生き様に憧れるあまり、ブコウスキー感を出したいあまり、大学時代には肉体労働系のバイトをやってみた。すぐに「なんか違う」と思った。というか全然違う。典型的なアッパーミドル家庭育ち、ルックスはどちらかというとかわいい系、しかも学費を親に払ってもらっているぬるい大学生だった俺がポッと労働してみたところで当たり前のように何のリアリティも生まれない。

 

ブコウスキー感は諦め、社会人(サラリーマン)になってからはトム ウェイツ感を出したいと思った。 “The Heart of the Saturday Night”のアルバにジャケットにうつる男のくたびれた雰囲気に憧れたのだ。ネクタイしているし。これなら、、と思った。このウェイツ感を出す為に毎週末は歓楽街で酒を飲んだ。しかし話すまでもなくトム・ウェイツ感も全く出せない。気が付けば憧れた哀愁やくたびれ感とは真逆、EDMが鳴り響く店で泥酔して女のケツを全力で追いかけているだけだった。

 

さすがに俺でも気が付いた。ブコウスキーが輝くのは肉体労働をしているからなんじゃない。詩という情熱の全てをぶつけられるものを持っているからだ。トムウェイツが輝くのは全身全霊で音楽を創っているからだ。熱い魂をぶつける対象があり、初めてその背景が輝くストーリーになる。

 

ブコウスキーにはなれない。トムウェイツにもなれない。アクセルローズにもなれなければ、当然松田優作さんにも萩原健一さんにもなれない。 誰にもなれない。

 

お前はお前にしかなれない。

本物のお前になる為に、死ぬまでに何としてでも情熱を燃やせるものを見つけなきゃいけない。

 

 

、、、未だ何も見つかってないけど今は“恋する惑星”のトニーレオン感を狙っている、、、


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